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簡潔に表すと「圧倒的上位種に愛でられる至極の悦び」です。リョナが平気かつ「強い方が受け」のシチュが好きな人は好きだと思います。主人公ハドマ(奴隷)はグレムリンであるロシャン(主人)に、我々の中央値的な価値観でいえばかなり優しく大事にされて暮らしています。しかしそれはロシャンが偶然、チキュウジン目線でいうような「寵愛」といった可愛がり方を好んでいたからというだけです。他のグレムリン達は、かなりむごい方法でチキュウジンを愛でています。まったく苦痛を与えることなくハドマを味わい尽くしたロシャンは少し変わり者だったのかもしれません。またハドマもかなり天才的なマゾではあったので、主従両者の相性がうまく噛み合った結果の幸せな生涯だったのではないかと考えています。私は生まれや育ちの異なる者同士が、その違いを含めてお互いを愛おしく思うような間柄が何より好きなのですが、この作品ではそれを無限に堪能できて幸せでした。例えば作中には「グレムリンに表情は無いが、自分(奴隷)に向けてわざわざ微笑みをたたえている」とか「食事を必要としないグレムリンは、チキュウジンが美味しそうにお菓子を食べる様子をかわいいと思って見ている」など、2種族の生態や文化の違いが精緻に描写されたシーンがたくさんあって大好きです。わざわざチキュウジンに寄り添った方法でコミュニケーションを図るグレムリン(そしてそれはひとつの娯楽に過ぎないということも)、かなり最高でした。エッチの場面も濃密です。その気になればチキュウジンなんてひと捻りで破壊できる上位存在が”抱かれてくれている“という事実。自分はいま許されている!という喜びが終始奴隷の劣情を煽ります。グレムリンとチキュウジンは姿形は勿論「愛するということ」の概念までもが異なる種族です。主人から「愛している」と言われたハドマはそれを理解しつつ「あなたを愛しております」と喜んで返します。そして身体を重ねるたびに2人はそれぞれにとっての「性的な快楽」に浸ります。誰が何と言おうとこれが2人にとっての“愛”というもの。この幸せがずっと続けばいいのにとしみじみ思えるような素敵な作品でした。しかし、かなりハードなリョナの場面もあるので苦手な方はご注意下さい。先生曰く「家畜人ヤプー好きな人はきっと好き」ということです(私は家畜人ヤプー無理でしたがこの作品は読めました)。気になる方は是非!
こういった作品は初めてですが面白かったです。主人公のハドマを除けば。始終人間が蹂躙、陵辱されている描写が続くので、苦手な人はとことん苦手だし、好きな人はとことん好きな作品だと思います。ハドマはとことん大切にされています。ロシャンからはもちろんですが、それ以外のグレムリンからも大切に扱われているかと。確かにグロテスクでゴア表現もありますが、流血表現や死亡描写は個人的にはあっさりに感じており、むしろ人体改造の方に力が入っているなと感じました。カントボーイや男性器の股間以外への移植などの描写がありますので苦手な方はとことん苦手かと。愛情表現が根本からちがう生物同士での愛の囁きが多く、それらは決して交差することはないけれど、寄り添って触れ合うことはある。みたいな感じに私は解釈しました。基本的に主人公のハドマの視点が多く、グレムリンたちの思考の真意までは明確にはわからないところも良かったです。
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簡潔に表すと「圧倒的上位種に愛でられる至極の悦び」です。リョナが平気かつ「強い方が受け」のシチュが好きな人は好きだと思います。主人公ハドマ(奴隷)はグレムリンであるロシャン(主人)に、我々の中央値的な価値観でいえばかなり優しく大事にされて暮らしています。しかしそれはロシャンが偶然、チキュウジン目線でいうような「寵愛」といった可愛がり方を好んでいたからというだけです。他のグレムリン達は、かなりむごい方法でチキュウジンを愛でています。まったく苦痛を与えることなくハドマを味わい尽くしたロシャンは少し変わり者だったのかもしれません。またハドマもかなり天才的なマゾではあったので、主従両者の相性がうまく噛み合った結果の幸せな生涯だったのではないかと考えています。私は生まれや育ちの異なる者同士が、その違いを含めてお互いを愛おしく思うような間柄が何より好きなのですが、この作品ではそれを無限に堪能できて幸せでした。例えば作中には「グレムリンに表情は無いが、自分(奴隷)に向けてわざわざ微笑みをたたえている」とか「食事を必要としないグレムリンは、チキュウジンが美味しそうにお菓子を食べる様子をかわいいと思って見ている」など、2種族の生態や文化の違いが精緻に描写されたシーンがたくさんあって大好きです。わざわざチキュウジンに寄り添った方法でコミュニケーションを図るグレムリン(そしてそれはひとつの娯楽に過ぎないということも)、かなり最高でした。エッチの場面も濃密です。その気になればチキュウジンなんてひと捻りで破壊できる上位存在が”抱かれてくれている“という事実。自分はいま許されている!という喜びが終始奴隷の劣情を煽ります。グレムリンとチキュウジンは姿形は勿論「愛するということ」の概念までもが異なる種族です。主人から「愛している」と言われたハドマはそれを理解しつつ「あなたを愛しております」と喜んで返します。そして身体を重ねるたびに2人はそれぞれにとっての「性的な快楽」に浸ります。誰が何と言おうとこれが2人にとっての“愛”というもの。この幸せがずっと続けばいいのにとしみじみ思えるような素敵な作品でした。しかし、かなりハードなリョナの場面もあるので苦手な方はご注意下さい。先生曰く「家畜人ヤプー好きな人はきっと好き」ということです(私は家畜人ヤプー無理でしたがこの作品は読めました)。気になる方は是非!